こんばんは!
すっかりブログの更新をサボっていました。でも、嬉しいことがたくさんあった1ヶ月でしたよ♡
ハウステンボスに旅行に行きました!
夫の転職が決まり、住みたかった街へ引っ越すことになりました!
今日は早起きして朝ごはんをゆっくり食べて、いつもより早く会社に行き、いつもより早い電車で、今、家路についています。
私が最近すごく思うのは、これが幸せ!っていうのは、自分で決めなくてはいけない、ってことです。
人との比較の中で生まれる幸せ
人と比べて優れているとき、誰かから羨ましいと言われたとき、私は優越感を感じて嬉しくなります。
それを悪いことだとは思いません。
もし私がこの世に一人きりだとしたら、考えるべきことなんて、身の安全と生き延びるためのご飯のことだけなんじゃないかな。だから、人と関わって生まれる感情は、すごく自然なものだと思う。
だけど、それだけを、人との比較で生まれる喜びだけを、「幸せ」と定義してしまうと、息苦しくなる気がする。いつも人を気にして、自分より不幸な誰かを見つけないと、私も幸せになれないってことだから。
比べるなら、今じゃない自分
人と比べて感じられる幸せは、不安定。もっと安定感のある幸せは、実は自分同士を比べると得られることに、最近気づきました。
たとえば、今の自分と昔の自分。今まで生きてきて、嫌だったことや辛かったことは誰にだってあるはず。その時の自分を思い出してみる。
朝仕事に行くのが憂鬱な時、私は昔の仕事を思い出す。夜中の12時までサービス残業させられたこと。38度の熱が出ていても、休ませてもらえなかった。そういう仕事だった。それをみんな当たり前と思っている職場だった。比べて今は、私が有給を使うのが下手なのは変わらないけど、体調が悪ければ帰っても休んでもいいし、残業も自由で残業代もつく。仕事だって、「早く1日終われ!」と嫌々働いていたあの頃とは違い、一度出社してしまえば、楽しく働いてあっという間に定時を迎える。昔の私と比べて、今の私はこんなにも幸せ。
もしくは、今の自分とそれを選ばなかった自分を比べる。
雨の日、バス停でバスを待つのはなんとなく憂鬱。だけど、もしバスを選ばず、いつも通り自転車に乗るとしたら?土砂降りではないけど、これだけ降っていたら到着するまでにはかなり濡れるだろうな。天パの私の髪は、湿気にすこぶる弱い。到着した時には悲惨な髪型になっているに違いない。寒くなってきたから、途中の道のりも辛いだろうな、風邪もひくかもしれない。
雨の当たらないバス停で、のんびりバスを待っていられる今の状況が、途端に幸せに感じられる。コンビニか自販機であったかい飲み物でも手に入れれば、世界一幸せな女の出来上がり(笑)
比べなくても感じられる幸せ?
なんとなくだけど、誰かと、何かと、比較して感じる幸せは本物じゃない、みたいな感じがあると思う。確かに、唐突に「あぁ、今しあわせだ!」と感じることはたまにあって、そういう時の幸せは心の奥からじんわりと暖かくなるような、本物の幸せっていう感じがする。
寒い日に暖かいミルクティーを飲む時、夫に抱きしめられながら安心して眠る夜、美味しいものを食べた時、本を読んでいる時間、新しいことを勉強しているとき、綺麗な花がたくさん咲いているのを見ること。
何かと比べなくても、それがあるだけでいい、圧倒的な幸福を生み出す時間は確かにある。でも難しいのは、暖かいミルクティーを飲む時、いつでも幸せと思えるわけではないこと。もちろん真夏は冷たい飲み物の方がいいとか、そういうことではなくて、暖かいミルクティーを飲む時間は意識すれば必ず幸せな時間になりえるのに、場所やシチュエーションや心の余裕によってそれを感じられないこともあるってこと。
いつでも幸せであること
「幸せになりたい」と考えたことはみんなあると思う。幸せになるための始めの一歩は、具体的に、自分にとっての幸せを定義することだ。
さっきの飲み物の話なら、「私は暖かいミルクティーを飲むと幸せ」と決めてしまう。そして、暖かいミルクティーを飲む時には必ずそれを思い出すようにする。そうしておけば、幸せじゃないなと感じた時、暖かいミルクティーを飲むだけで幸せになれるようになるはず。
これが幸せ、と思うことをたくさん決めて、生活のあちらこちらにばら撒いておく。
英語の音が大好きな私は、くまのプーさんの原書を音読するときすごく楽しいし、その時に新しく何かを学べたらさらに嬉しい。
ヨガで体の硬くなってる部分を伸ばすのは気持ちいいし、カルピスバターをたっぷり塗ったパンはとっても美味しい。
こうやって、何が幸せなのかを決めてしまえば、幸せになるのは案外簡単♡
幸せって、私たちが思ってるよりもっと身近で簡単なものなんじゃないかなぁ?