仕事が忙しい。なかなか定時で帰れない。
日々の私は「まぁいいか…」と思って過ごしてるんだけど、本当にいいのか。
このままで、いいのかな?
仕事中は怒涛の勢いで過ごし、家に帰ったらゆるりとくつろぐ。
ある意味、理想的な生活かもしれないとも思うし、そう思うこと自体、洗脳されてるんだろうかとも思う。
終わらない仕事たち
そもそもなんで仕事は終わらないのかな。
もちろん日々営業さんたちが頑張ってるんだから、仕事がなくなるわけない。でも、私が「ここまでやりたい」と思うこところまでは、たいてい1時間くらい残業をしないと終わらない。それでも終わらないときは、次の日に回してる。
ということは、私が「ここまでやりたい」と思うところが、そもそも時間内に終わる量じゃないのかも?
私は毎日、自分で自分の首を絞めてるんだろうか…
たぶん夫は私に何も求めていない
私が早く帰りたい理由は、これでも一応主婦なのだから、帰ってご飯を作ったり、夫と話したりする時間をもっと作らなければいけないし、仕事をしていても自由時間は充実していなければならない、という謎の義務感から生じている気がする。
もちろんご飯も作りたいし、自由時間を充実させたい。それはもともとは私の希望だった。でも、「そうすべき」と思うと、途端に義務となり、そうならないことが悪いことのように感じてしまうようになる。
たぶんだけど、夫は私に何も求めていない。それは「いてもいなくても一緒」ということでは無くて、むしろ「居てくれるだけでいい」に近いと思う。ご飯も「今日はここに食べに行こう!」と提案してくれるし、夫が作ってくれる日も多い。私に身の回りの世話をして欲しくて一緒にいるわけじゃないんだ。
早く帰ってご飯を作らなければ!なんて、そんなこと思う必要、全然なかった。
夜のお散歩
昨日、夫と一緒にご飯を食べに行った。お店から帰って車から降りたらすごく外が気持ち良かったから、そのままコンビニまで散歩をした。
会社で使うリップクリームを買いに行ったんだけど、そんなのは後から作った目的で、夜のお散歩は、涼しくてとっても気持ちが良かったな。
ちなみに、写真は全然関係ない、先週の帰り道の夕焼け(笑)
理想と現実
私は何に追われてるのか。
書きながら気づいたんだけど、仕事もプライベートも、自分の「こうなったらいいな」っていうささやかな希望に追われてるのかも。
それって、本末転倒というか、なんか変だ。理想と現実って、もっと理想はふわふわと暖かくて、現実が厳しく追い立ててくるものなんじゃないの?
実際の私の現実は、実は全然冷たくない。夜のお散歩みたいに、暖かい日常がただ毎日続いてる。
私がもっとこうなったらいいな、と思ってることは、実は私が望んでることじゃない。「こうあるべきなんじゃないか」っていう、観念的なものであって、私の本当の理想ではない。
私はもっと、何も考えずに好きなことをしてたらいいのかもしれないなぁ。
まとめ
実はこのブログは、昨日散歩から戻った後、夫が「もっとこうやって2人でお散歩したり、寒くなったらココア飲んだりしながら、ゆっくり過ごす時間を増やしたい」って言ってたことをメインに書く予定だった。
でもなんか、ちょっと違うところで、最近の私のモヤモヤの原因に近づけたような気がする。
幸せは、私が「あーこれ出来なかった」とちょっと後悔してるようなことの中にもあるんだね。
晩御飯作らなくても、誰も困らない。美味しくて健康にいいものはお店でもちゃんと食べられる。
明日からは自分のちょっとした希望に騙されないように、何もなくても幸せだって、忘れないようにしたい。